いとも簡単に思いは裏切られ、打ちひしがれる事ばかりだ。期待する事がまるで悪い事かのように、ただただ、裏切られ続ける。

それでも、「悲観してもしょうがない。」と言われるかもしれない。

しかし、そんな簡単に割り切れるもんでもない。

だから、結局のところ自分が多くを期待するのが悪い、

思い通りにいかない事に遺憾とするのが間違いだとしても、

ふと吐露したくなる。

 

人生は裏切りの連続でさ、

期待と言っても、言うほど高尚な高望みしているつもりもないし、

独裁権を以て「これはこうではなくてはならん」と生きてきたわけでもない。

けれど、何だかわからないけれど、

私個人の人生は、常に人に裏切られ続ける道を辿って来た気がして。

 

 

人並みに、策略や計算、大人としてのずる賢さは持ち合わせている。

だけど、ちょっとした心の隙間から、

自分の本質である部分の子供の部分や、

他人を馬鹿正直に信じやすい部分が顔をだしていて、

少し親しくなって気を許したところで、

良くも悪くも、単純で純粋で馬鹿なコアの部分が、

心を許したとたんに、勝手に相手を信用してしまう。

 

 

そういった浅い人間だからこそ、

もう、なんどもなんども信用は簡単に裏切られ、

もう、なんどもなんども人は信用できないと悲観した。

 

 

結局のところ、他人のせいではないって解っていると、

思考がちょっとずつ、ずれてくる。

ちょっとしたことで他人を信用してしまう自分が嫌い。

相手にとって信用を裏切る事がないような人間じゃない自分が嫌い。

勝手に信用して、勝手に裏切られて、

いつまでもそんなことに気を取られている自分が嫌い。

行き着く先は自分に対する嫌悪感でさ。

 

自分の何もかもが嫌になってくるんだ。おもしろいほどに。

 

他人の期待に応えられない自分が嫌い。

努力しない自分が嫌い。

要領よく立ち回れない自分が嫌い。

気の利いたことが言えない自分が嫌い。

 

次第に、

価値のない自分を誰かに認めてほしくて、

自分の存在に意味が欲しくなって、承認欲求が増していく一方で。

誰かが何かを言ってくれても、

気を使わせてしまったんじゃないだろうかとか、

裏があるのではと先読みを始めて、受け取り方すら歪んでしまう。

 

 

そうやって思考の歯車が一か所欠けてしまうと、

もう何をどう思ったって、正しいように考えは働かない。

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噛み合うまでは何をやろうが効果もなく、

このままじゃだめだと思いたって、何とか上方修正しようとしても、

ダメだと思いつつも打開できないだめな自分はもう何をやってもダメなんだと

卑下の沼に足を取られてまま沈んでいく。

そんな自分が嫌で、の繰り返しに陥る。

 

 

ネガティブな人って、大体こんな感じなのかな。

 

少なくとも、私はそうだった。

 

 

 

って話。

・・・ここで話〆ちゃうと、底抜けに暗いな。笑

もうちょい続けようかな。

 

 

 

まあ、そんな中で、

この間友達と、夜ラーメンすすってる時にさ。

友達が言っていたのね。

内々の話として信用できる人にだけ話した話が、

思いもよらぬ人から反響として返ってきた、と。

もう誰も信用できない!と。

 

話を聞いていたら、

なんだかわからないけど少し悲しい気分がして。

 

「私も(信用できない)?」と、恐る恐る質問してみた。

 

今思えば、なんちゅう事を聞いたんだろう。笑

 

 

 

ちなみに、返ってきた答えは、

「信用ではなく、信頼している。」というものだった。

人が成っているよなあ。語彙がある。

粋な事が言える人も居たもんだ、と感心した。

 

 

 

なんだか、

嬉しい気持ちとかいろんな感情でわちゃわちゃっとなって、

少し心が温かいような、軽いような、そんな気分になった。

 

 

友人の偉大さを感じた瞬間だったなと、

 

 

 

そんな話。

ちょいちょい、なにかしらで救われまくってるんだよなあ。

本人はどうせ覚えてないんだろうけっど。笑

 

 

 

 

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